今年の節分は例年より1日早い2月2日!

もうすぐ節分ですが、今年2021年の節分は例年と違い2月2日。
閏年に2月の日数が1日増えるように、暦のずれを調整するために、節分の日が1日前後することがあるのです。
節分が2月2日になるのは、明治30年以来124年ぶりとのこと!
ちなみに昭和59年には2月4日だったことも。
身近だけど実はよく知らない節分について、おさらいしてみましょう!
節分の意味
節分は雑節(彼岸、入梅など季節の移り変わりを表す)のひとつで、もともとは各季節の始まりである立春、立夏、立秋、立冬の前日のことをいいます。ですから本当は1年に4回訪れるのが節分なのですが、江戸時代以降は特に立春(2月4日頃)の前日を節分と呼ぶようになりました。
旧暦(太陰太陽暦)では、立春に最も近い新月を元日としていましたから、立春を新年としてとらえ、立春の前日である節分を年越しの日と意識されていました。ですから、特に立春の前日を節分として強調されるようになりました。
なぜ節分に豆を撒くの?
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると伝えられていて、それを追い払うために悪霊払いの行事が行われていました。その結果、一般的に「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆を撒いて、年齢の数だけ(または1つ多く)豆を食べるという厄除けの風習を行うようになりました。
それではなぜ、節分に豆まきが行われるようになったのでしょうか?
そのルーツは中国の邪気払い行事「大儺(たいな)」からきていると言われています。大儺が日本に伝わり、「追儺(ついな)」として平安時代に宮中で行事が行われるようになりました。
この追儺は「鬼やらい」と呼ばれ、病疫を追い払うために旧暦の大晦日である2月3日の夜に行われていました。追儺はお面をかぶって衣装を付けて神に扮した方相氏(ほうそうし)が、目に見えない鬼を追い払うという行事でした。
豆まきがいつ頃から始まったのかは明確には分かっていませんが、南北朝時代には豆まきが追儺に取り込まれ「鬼は外、福は内」と唱えることで厄除けになるといわれていました。
室町時代の高僧が書いた「臥雲日件録(がうんにっけんろく)」には、節分に豆を撒くという習慣が上流階級だけでなく、一般庶民にも広まっていたことが書かれています。
豆まきになぜ大豆を使うのか
節分には一般的に大豆が用いられますが、大豆は厄落としや、疫病、風邪、疱瘡、麻疹などの病除けのまじないにも使用されてきました。かつての豆まきでは、大豆の他に米、麦、栗、炭などを使っていましたが、大豆が主流になったのは、中国の薬物学書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」に大豆が「鬼毒」を消して痛みを止めると書かれていたことが由来とされています。
また、豆を投げつけることで「魔を滅する(=魔滅(まめ))」となることが豆まきの由来とのいわれています。全国各地の神社でも、節分のときに豆をまくという行事があって、この豆まきにも厄を払い無病息災を願うという意味があります。
縁起がよいことから、年男や年女が鬼を追い払う豆まきの担当になることが多いようです。また、厄年の人が厄を払うために豆まきをすると良いとされています。
節分の豆まきに使われる豆を「福豆」と呼ばれ、本来は升に入れて神棚に供えます。なぜ升を使うのかというと、「力が増す」という言葉にかけて、縁起がよいことから升に豆を入れるようになりました。
福豆の豆は炒った大豆を使いますが、その理由には豆まきのあとに豆から芽が出てくると縁起が悪いとされ、豆から芽が出ないように豆を炒るようになりました。
市販されている福豆は、ほとんどが既に炒った大豆ですが、自分で大豆から用意する場合は事前に炒った大豆を升に入れて、豆まきの直前まで神棚に供えておきます。
豆まき以外の節分の行事
節分の日には、豆まき以外にも炒った豆を神社やお寺におさめて無病息災を祈願したり、厄除けのために炒り豆を食べたりしていました。また、焼いた鰯の頭を小枝にさした「柊鰯(ひいらぎいわし)」を飾って邪気を払うといった行事も全国各地で行われています。
「柊鰯」は、柊の葉の棘が鬼の目を刺すと言われ、門口から鬼が入ることができず、塩鰯を焼く臭気の煙によって鬼が近寄れない(または鰯の匂いで鬼を誘い、柊の葉の棘で鬼の目をさす)とされ、日本各地に広まりました。
なぜ節分に恵方巻を食べるのか?
恵方巻とは節分の日に恵方を向いて無言で食べる巻き寿司のことですが、どうして節分に恵方巻を食べるようになったのでしょうか?また、恵方巻を食べる習慣はいつからなのでしょうか?
恵方というのは歳徳神(としとくじん)の存する方位のことで、その年の干支などによって方位が変ってきます。かつては、初詣も自宅から見て恵方の方角の神社に参拝する習慣がありましたが、現在では、特に節分の恵方巻を食べる時に使われるようになりました。
恵方には、24方位、十二支、時計法、方位角、32方位、16方位がありますが、節分の恵方巻を食べるときには、簡便な16方位を採用しています。ちなみに2021年の節分の恵方は「南南東やや南」になります。
恵方巻の起源は大阪が発祥だといわれていますが、その定説は未だに存在していませんし不明な点も多くあります。大阪が発祥だという要因には、大阪の船場で商家の旦那たちが遊女と巻き寿司を使った遊びをしていたことからという説があり、近畿地方の一部に広がった風習だともいわれていますが、伝統行事と言われるものではなかったようです。
現在の恵方巻は「節分の夜に恵方に向かって願い事をしながら巻き寿司を丸かじりし、言葉を発せずに一気に食べ終えることで願いごとが叶う」とされています。
その他には、「目を閉じて食べる」とか「笑いながら食べる」といった願のかけ方もあり、さまざまです。また、基本的に食べる恵方巻は太巻きとなっていますが、太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べるという人もいます。
恵方巻のルーツは、江戸時代から明治時代にかけて大阪の花街で節分を祝って、寿司を食べたり商売繁盛を祈ったりしたことが始まりといわれています。ただ、当時は恵方巻という名前ではなく、「太巻き寿司」「丸かぶり寿司」と呼ばれていましたが、それらは七福にちなんで7つの具を入れて巻くのが基本となっていました。
近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉は、元々商売繁盛家内安全を願うものではなかったともいわれています。恵方巻という言葉は1989年に広島市中区にあるセブンイレブン舟入店で「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」ことを聞いて、恵方巻を仕掛けました。
それ以降全国に恵方巻が広がり、2000年代以降は急速に広まっていますが、それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたことの文献は見つかりません。また、恵方巻の他「幸運巻寿司」「恵方寿司」「招福巻」といった呼び名があります。
恵方巻のルールとは?
恵方巻の食べ方にはいくつかルールがあって、まずその年の恵方を向いて食べます。その年の恵方には神様がいるといわれていますから、食べている時間はその方向だけを向いてよそ見をせずに食べることでご利益を得ることができます。
その次のルールとして、恵方巻を食べている間は黙って食べなければなりません。一本を食べ終わるまでは黙って静かに食べないとご利益が得られないといわれています。
恵方巻を食べる最後のルールが、上品に切り分けたりせずに一本を一気に食べるということです。途中で休んだりせずに、恵方を向いて黙って一気に一本を食べきることでご利益があるといわれています。ですから、お子さんやどうしても1本を食べきれないという人は少し細めのものをいただくと良いでしょう。
一本を丸ごと食べることで「幸福や、商売繁盛の運を一気にいただく」という意味合いがあるといいます。
家族の健康や商売の先行きも不安な昨今ですから、古い風習に習って邪気を払い、福を呼び込み、ご利益にあずかりたいものです。
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